スタッフ
Masaya Hirata
この楽しいルアーフィッシングを身近なものにしていただきたいとの思いから、“一人でも多くの方に、一度でも多くの釣りを”、ポリシーに、お客様の希望のゲームプランを中心に営業しております。
海との出会い
1957年、京都は木屋町に生まれ、伯母は先斗町で舞妓はんから芸子さんになり、その後「BAR」を経営、大学在学中からその店でバーテンダーをしていた親父は、海外旅行どころか、当時飛行機に乗る事すら珍しい1ドル360円の固定相場の時代に、現金の持ち出し制限が厳しかったことから、パンツの中に現金を隠し持ち(時効)世界旅行に出る、その旅行中にフランス(パリ)で行った、「キャバレー」に感銘を受け、祇園で「KENT」と言うクラブや(“やしきたかじん”も常時出演)生ギターとピアノで歌えるスナック、その他、当時京都では珍しいゲイバーも経営していた親父に連れられ、仕事が終わった深夜から、店のお客さんやホステスさん、バーテンさんやオカマさん達と、当時まだ原発も青戸大橋も無かった若狭の大飯大島に、全員ベロンベロン(時効)の大人達に連れられ、大飯の漁師さんと毎週アワビ・サザエ取りと魚突き(時効)に行っていたのが、海が大好きになった最初のきっかけ。
その後、サーフィンに放浪、バイクやレーシングカート、ゴルフなどに熱中しながらバーテンダーや料理人(割烹・寿司・京都ホテルでコック)をしていたが、もっと海に行きたい、もっと旅に出たいと、20代後半ダイビングのインストラクターになり、スポーツプラザACEのダイビング部門を任され、20年以上、沖縄をはじめ世界の海を潜り回る。
2012年ダイビング指導団体PADIより、インストラクター活動30年の表彰を受け、現在のインストラクターランクは、マスター・スクバー・ダイバー・トレーナー。
釣り歴
渓流やヘラブナ釣りには、よく行っていたのですが、ルアーフィッシングとの出会いは、1990年初めて行った早朝の琵琶湖で、トップウォーターに「ボコ」と出たバスに味を占めたのがルアーフィッシングの始まりで、以後車の屋根にアルミボートを積み、琵琶湖や池原を主に釣行を重ねる。
その後、ジギングにハマり、若狭をホームグランドに各地のルアー船に乗り、その当時本業のダイビングもそっちのけで、多いときには週3回の釣行に出かける。
しかし、根っからの凝り性とバス釣りの経験から、船長の立てたゲームプランでは、どれほど多く釣らせていただいても、どれほど大きな魚が釣れても、何か肝心な部分が欠けていると思うようになり、2001年ついに現在の船(アクアノート)を購入することになり、自分で考えたゲームプランと自作ルアーやジグによる釣行を重ねる。
チャレンジ精神と情熱だけの未熟な船長ですが、よろしくお願いいたします。